| されど闘牛、の歴史 | |
春の訪れと共にスペインにある6000以上の闘牛場の扉が開かれます。 好き、嫌い、賛成、反対、芸術、低俗、伝統文化、野蛮文化、 スペインにおいて一番物議をかもし出すのがこの「闘牛」の存在なのかもしれません。 さて、闘牛で使われる野生の牛の歴史は深く、遥か紀元前にまで遡ります。 紀元前約2000年の旧石器時代、狩猟世界であったこの時代の壁画に、 一番数多く描かれているのがこの牛なのです。 収穫の守り神として称えられていた野生の牛は、何時しか神聖なモノに捧げる犠牲者となりました。 神の確立していないこの時代に神格化されていた巨木や巨石に捧げられたのです。 スペインに限らず、例えば同じ時代のクレタにおいても、 春の訪れを祝い、重要な位置に牛を置いた半祭、半魔術的なモノが開催されていました。 一人の青年が牛と闘い、牛を殺し、その血を村々の大地に撒く。 一説ではそれが闘牛の起源とも言われています。 ローマ時代には宗教的な意味も失われ、”パンとサーカス”の名のごとく、 スペクタクルな見世物としての「闘牛」がありました。 中世になるとサーカス的な「闘牛」は姿を消し、今度は戦の練習用として馬に乗った騎士が牛と戦います。 15,6世紀にもなれば新兵器の発明によって騎士達の戦い方も変わり、 このような訓練は必要とされ無くなりましたが、 騎士達の技能や勇気を試すモノとしての「闘牛(牛と人との戦い)」は失われませんでした。 騎士達は広場に集まり、牛と戦う事によって技量を競い、村人達はこぞってそれを見に出かけました。 (馬上から手槍で牛を突く形の闘牛が生まれたのはこの頃です。) つまり闘牛とはエリート達のスポーツであり、 エリート達が貧乏人達にしてみせる、今だやっぱりサーカス、のようなモノであったのです。 その貧乏人達に混じって狂喜乱舞していたのが大の闘牛好きとして知られるカルロス5世でした。 結果彼の統治下では盛んに闘牛が催されました。 1700年、カルロス2世が世継ぎの無いまま死亡すると同時にスペイン継承戦争が始まります。 勝利者となったのは初のブルボン王朝家の王、フェリーペ5世です。 その彼が王としてスペインへと乗り込んで来た時、 寵臣達は彼を喜ばそうと闘牛に連れ出しました。 が、 コイツ、フランス人にアリガチな(←かなりの独断と偏見)拒絶反応を示しました。 勿論家臣たちは王にならい、右にナラエで闘牛離れが始まりました。 王族、貴族達の闘牛離れと同時に、貧乏人による「闘牛」の時代が始まりました。 そしてそれは一攫千金を目指した、アメリカンドリーム的な「闘牛」へと進むのです。 トコロで初期の闘牛は、芸術には大変程遠いシロモノでした。 セレクションが無い為、人間相手には大き過ぎる8〜10才の牛が使用され、 (現在使用されているのは5才前後の牛) 戦うと言うよりは、逃げ惑うの感が強い、ドタバタ大喜劇のようなモノだったのです。 で、 俺は美しく闘牛したいんだ!!! 叫んだのはJuan Belmonte、闘牛士の父と呼ばれる男です。 彼の出現によって闘牛の基礎が出来上がり、闘牛の芸術化が始まりました。 つづく |
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